祖父が亡くなりました。 [強く伝えたいこと]

 2017年8月27日、祖父が亡くなりました。

 祖父とは同居していますが、家族が気づいて救急隊が来てくださった時にはもう亡くなっていたそうです。僕が祖父を最後に見たのは26日深夜。自室の布団ではなくリビングで寝ていました。でも日常茶飯事だったので不思議には思わず、家族も同じでした。

 病死でした。救急隊の後は警察が来たそうで根掘り葉掘り聞かれたそうです。僕が最後に見た1時間後、病死したようです。祖父の死は、27日昼過ぎに親からメールで知らされました。

 出先から京急線に飛び乗って横須賀へ戻ります。
 車窓。夕暮れ。

 悲しくはなくて、取り乱すことも無く、

 ただ……、寂しいな、もう話せないのかという残念な気持ちでした。すれ違いの生活で話す機会があまり無かったのです。



8月29日。江ノ島。

 公休。江ノ島へ行きました。毎年恒例ですが今年はこれが初。虚しい気持ちを埋める……ではないですけど、なんだか急に海が見たくなって、麦わらとシャツを持ち江ノ電で行きました。

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 海を見てるとすごく落ち着きます。
 小学生の頃、じいちゃんと二人で成田空港を目指して鉄道の旅をしたことを思い出しました。乗り換えの電車を間違えて、水郷駅っていう無人駅にたどり着いてしまって、やっちまったなーという雰囲気だったのを、うっすら覚えてます。

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9月1日。火葬。

 葬儀はせず、家族だけで見送ることに。こういった出来事は人生初のことでしたので右も左もわからず……、不安なまま当日を迎えました。

 棺が開けられ、祖父の顔を見ました。
 亡くなってから僕が顔を見たのはこの時が初めてでした。

 顔を見た時は、素直な感想を言うと、ショックでした。

 ぐっときました。

 けれど最後に会えてよかった。
 
 きっと死んでしまう前は苦しかったと思う……。
 生前も家族を支えてくれ、それはそれで苦しかったと思う。

 もっと顔を見ていたかったけれど(ちょっと不満)、
 なんだか慌ただしく火葬炉へ入ってしまい、見送りました。

 現在に至ります。

 9/1、今日は涼しいですが、蝉の声が鳴り止まない火葬場。



 大学生の頃、じいちゃんに言われた言葉があって。



「お前は何も出来ないな」



 心底傷つきました。いまも胸に刺さる言葉です。
 その言葉に苦しめられたけど、

 ですが今思えば、
 
 その言葉に奮い立たされた。
 その言葉に導かれたのかなと前向きに捉えています。



 僕は大丈夫です。

じいちゃん、ありがとう。安らかに。
大好きな歌を歌って過ごしてください。
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